【開催報告】オンライン対話:「寛容」について一から考えてみよう
- socialedu1946
- 23 分前
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10月25日(土)、午前9時半~11時半に、オンライン対話「『寛容』について一から考えてみよう~森本あんり『不寛容論』(新潮選書)に学ぶ」を開催しました。
講師は、一般社団法人やさしい日本語普及連絡会・代表理事の吉開章さん。

東京女子大学 学長、森本あんり氏の寛容論を紹介し、多様な人々に対する「寛容」「不寛容」について参加者と共に対話しました。
最近、外国人増加や社会の分断をめぐる不安があり、対立ではなく対話をどう成立させるか? アメリカ在住の参加者も交えて意見交換。日米の違い、学校現場の様子など、きびしい現場の様子も伝えられました。
■吉開さんのお話 概要
森本あんり氏の寛容論を紹介
アメリカでは宗教的寛容度が高い(例:ユダヤ教とキリスト教の共存)。
日本では宗教に対する関心が薄く、結果として「無寛容(無関心)」になりがち。
「無寛容」はそもそも関心を持たない状態。身近に迫ると、無寛容からいきなり不寛容になりがち。
「寛容」は否定的評価と肯定的評価の間にある態度。
相手を好きになれなくても、礼節を守り、暴力やヘイトを避けることが社会の基礎。
日本は「みんな仲良く」という道徳教育に偏りがちで、人権の視点が弱い。
■参加者の意見 概要
異なる考えを持つ人と「水平な関係で対話する」難しさを感じる。
「好き・嫌いの間にある寛容」という考え方に共感。
なんとなく不安を感じている人、または不寛容な人への対応が難しい。
「無寛容から不寛容への流れ」が怖い。
寛容は「他者の視点を理解すること」。
日本的な「頑張って寛容になる」は重いので、もっと軽やかに受けとめたい。
【ポイント】
・暴力やヘイトスピーチは対話の機会を壊す。
・「多様な他者へなんとなく不安を感じる人」との対話には礼節と傾聴が必要。
・日本では道徳教育はあるが人権教育が弱い。
・「嫌いでも最低限の礼節を守る」ことが人権ベースの寛容のあり方。
終了後のアンケートでは、今回のテーマへの強い関心が寄せられた。
「今回のような企画は、非常に重要な意味があると思いますので、この関連でディスカッションできる機会があるとうれしいです。」
「半年に一回くらい、寛容と不寛容をテーマにシリーズでお話会があるといいなと思いました」など。




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